日本初のビアホール「アサヒ軒」の流れをくむ、昭和11年開店の、大阪最古のビアホールが「アサヒビアハウスウメダ(店名はアサヒビヤハウスウメダと併用されていたようです)」でした。 1990年、お店が入っていた建物「同和火災ビル」の立て替えに伴い、一時閉店。 フェニックスタワーとして再建された現在の建物で「アサヒビアハウス梅田」として再スタート。 その後、店名を変えて、現在「アサヒスーパードライ梅田」という名前で営業をしています。
昔のアサヒビアハウスの店内は、どっしりとした本格的ドイツ風ビアホールで、趣きのある装飾品やシャンデリアなどが、本場ドイツのビアホールもかくやという雰囲気を醸し出していました。 自然、欧米のお客さんたちも多く訪れていたので、「本当にドイツの地下に迷い込んでしまったのでは??」と錯覚してしまうほど、素晴らしい空間でした。
ビアハウスでは本場ドイツのビアホールと同じように、陽気なドイツの民謡やビアソングなどの演奏が昔から行われていて、店内の雰囲気を一層盛り上げていました。 当時ここでアコーディオンを演奏されていた巽憲司さん(昔のラジオCM「♪千日前の千日堂〜」の歌手としてCMソング歌手の草分け?探偵ナイトスクープで探された事もあります)が、「もっとお客さんが一緒に盛り上がれるものを」という思いからアインプロジットでの乾杯を取り入れられたそうです(本人談)。
1970年に大阪で開催された万国博覧会のエキスポランド会場に設置されたドイツ「ミュンヘン市館/Muchen Pavilion」でも、同じ名前の大ビアホール「アサヒビアハウス」の営業が行われていました。 当時の新聞広告(万博公園のイベント「マニアEXPO」にて展示されていた物です) ジョッキ片手にビンビールを持って、ってちょっとあり得ないイメエジ(笑) 広告の中には「ドイツからやってきた一五〇人もの音楽家や踊り子が、大きな屋根の下でビールの歌と踊りを披露します」とあり、ドイツのビール祭りオクトーバーフェストを彷彿とさせるノリであった事を伺わせます。 (余談ですが、1990年に行われた花博でも同様のパビリオンがありましたね。)
新しくなったお店でも、毎週火曜日と木曜日に「ビアポルカの日」と題して、ビアソングの演奏が行われています。 前のお店での、連日の「5リッタージョッキの回し飲み」など、毎日がオクトーバーフェスト状態だった、あの盛り上がりには及びませんが、楽しい演奏を楽しむ事ができます。 大阪で、毎週ビアポルカの演奏が聴けるのは、今の所、唯一このお店だけです。